よろめき食い道楽記

日々見つけたオイシいもんのことを語ります

千房 千日前本店 [千日前]

思い出と共に今も潜む、ぬかるみの世界

【訪問:2011年10月】
日曜日の深夜、正しくは月曜日に変わったその時、ちょっとエコーのかかった女性の声がラジオから流れる。

鶴瓶・新野のぬかるみの世界
この番組は、お好み焼 千房の協賛でお送りします。

チキチン、チキチン♪

もう四半世紀以上前。
関西ではラジオパーソナリティーとして既に人気者の「鶴瓶ちゃん」、関西の放送作家で重鎮である「新野先生」・・・
お互いにその様に呼び合いながら、どうでも良い話に興じる深夜放送は、一部熱いファンが居るにも関わらず、あまり広がりは見せなかった。制作費の関係か、番組打ち切りの危機となった時、手を差し伸べたのはまだ小さなお好み焼屋に過ぎなかった千房の社長(当時)である。鶴瓶さんと旧知の仲である社長だが、実体は街の小さなお好み焼屋さん。なので番組のスポンサーは到底無理なことであった。それでも経費の一部を負担する「協賛」となり、鶴瓶さん、新野先生は手弁当、という形で番組は生き残った。

その結果、番組中にコマーシャルは無くなり、更にマニア度とマイナー感は高くなり、密かな人気を獲得していった。ある日、日頃の応援に謝したいと思った鶴瓶さんが、「千房の○○○○焼、美味しいなあ」という事を言い、新野先生も悪のりで応じる。そんなメニューは、実は無い。翌日から、千日前の本店に○○○○焼を注文する客が現れ、仕方なく急遽「ミックス焼き」を割引で提供することにした。「食べてきた」というリスナーの葉書が紹介され、それを聞いて店に訪れる人が○○○○焼をオーダーする。メニューに載っていない、所謂リスナーだけが知る裏メニューとして人気が出た。

当時、雑居ビル二階にあった本店、確か750円のミックス焼が、○○○○焼の注文で600円だったと思う。まだ小遣いをアレコレ考えたり辛抱しながら使っていた頃、「買い食い」にお金を出す事に、躊躇と少しの後悔があったのが正直な気持ち。ラジオから流れる空想上の食べ物が、実物として口に入った満足感は得たものの、まあ普通に美味しい、以上の感想は無かった。爆食小僧の当時、家で2枚食べていたお好み焼。量的な満足感も到底得られず。「○○○○焼」と書かれていた記念の千社札シールをお姉ちゃんに貰っても、ちょっと空しく感じた。

しばらくして番組は堂々の人気番組となり、千房も協賛を外れ、番組を「提供」する別の会社に取って替わられた。新世界にリスナーが大挙して押し掛ける、なんて楽しい騒動があった後、鶴瓶さん自身がメジャーな人気者となった事もあったのか、番組はいつしか終了となった。

閑話休題。

千房 千日前本店。雑居ビルの2階だった店舗は、自社ビル1階に入る路面店となっていた。四半世紀の間に、関西を代表するお好み焼チェーンとなった、その総本山らしい店舗である。旧い友人に久しぶりに会う前、やはり四半世紀ぶりに立ち寄ってみる。夕食には随分早い時間ながら、営業中のお店にはそこそこお客が入っている。カウンター席に座ると、男性スタッフが丁寧にメニューを広げながら差し出す。それを遮る様で申し訳無いが、恐らく四半世紀経った今でもメニューに記されていないであろうものをオーダーする。

「○○○○、それとハイボール

後で店長と判明したそのスタッフは、少しはっと目を見開いたものの、すぐ冷静に戻りマヨネーズや青のりの希望オプションを確認、オーダーをキッチンスタッフに符牒で通す。

目の前で焼かれた○○○○焼、豚、牛、イカ、エビの入ったミックス焼であるのは今でも変わっていない。流石にフカフカの生地は美味しく、これは昔と違って余裕が出来た自分が変わったから、だと思う。四半世紀前を思い出しつつ、しみじみと一人で食事を楽しんだ。レシートには850円、との表示。

店を出る時、恐らく件のラジオ番組など聞いた事は無いだろうと思う店長一人が、店外まで出て見送ってくれる。「お気をつけてお帰り下さい」との言葉は、遠方から久しぶりに来たと思われる客に対して感謝したい、という気持ちだったのだろう。
繰り返すが、番組が終わってから四半世紀以上。
人気の大チェーンになった今でも、そのメニューを続けて用意して客を待つ様なお店があることに少なからず感動する。

そのすぐ後、友人と会う。
「さっき、千房で○○○○焼喰うてきた。」「まだ、そんなメニュー、あるんか?」「それがな、あの千日前の暗い店がな、今は・・・」
懐かしい話題を、一つ加える事ができた。

【店舗データ】
千房 千日前本店
06-6643-0111
11:00〜24:00
定休日 無休
大阪市中央区難波千日前11-27 道風ビル 1F・2F
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